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木下博勝実家!会話なしのドライな親子関係だった!

ジャガー横田さんの夫で医師の木下博勝さんは、テレビの情報番組などでもコメンテーターとして活躍されていますね。穏やかな物腰で適格な意見を言う木下博勝さんですが、意外にも実家とはドライな関係だとウワサです。そこでこの記事では、木下博勝さんとご実家との関係や兄弟、母親との関係や、早くに亡くなったといわれる父親について調べてみました。

木下博勝実家は?兄弟は?

ジャガー横田さんの夫で医師の木下博勝さんは、北海道深川市の出身で、北海道深川西高等学校卒業後、杏林大学医学部に進学し医師国家免許を取得しました。

その後、東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了し、東京大学医学部附属病院第一外科や埼玉県所沢市にある所沢胃腸病院(現・佐々木記念病院)に勤務しました。

PROFILE
【名前】木下 博勝(きのした かつひろ)
【生年月日】1968年1月20日
【血液型】A型
【学歴】東京大学大学院医学系研究科博士課程修了
【出身】北海道深川市
【趣味】勉強・レコード収集

引用:Wikipedia

東京大学医学部付属病院に勤務しているときに、女子総合格闘技・スマックガールのリングドクターを務めていて、その時にジャガー横田さんに出会い、2004年に結婚されました。

そんな木下博勝さんですが、現在お母様が1人でお住まいのご実家との関係は“ドライな関係”だそうです。

その理由は、一つに、木下医師は幼いころから、非常に厳しく育てられたのが原因のようです。

木下医師は幼い頃から、医師になるために、勉強中心の生活をしていたそうです。

そんな教育熱心で厳しい両親に対して木下医師は

「冷たい」

「もう少し優しくしてくれてもいいのでは」

と思っていたそうです。

高校生になり反抗期を迎えた木下医師は、反発し、その矛先はお母様に向かうところになりました。

高校時代に反発し、ロックバンドに熱中し、大学受験に失敗、一浪の後に杏林大学医学部に合格しました。

一浪はしたものの、無事医学部に合格したことで、反発していたお母様との関係も修復されてよいかと思われますが、忙しさと反発していた頃の記憶とで、お母様と向き合わずに時間が過ぎたそうです。

そのため、妻のジャガー横田さんも木下医師とお母様の関係を“ドライな親子”と語るような関係に見えたのでしょう。

以前、木下医師が、お母様に東京での同居を提案したこともあるのですが、「一人が楽」とお母様から断られたそうです。

“ドライな関係”と言われる親子関係ですが、木下医師は、大人になり、親となったことでお母様の苦労を知ることができたと、とあるテレビ番組で以下のようにお母様に感謝を述べています。

「お袋がいなかったら今の僕はいない…。

ありがたい気持ちで一杯です」

この言葉に、お母様も、

「初めて感謝の言葉をききました。

お父さんになるとそういうことを感じることができるようになったんだな」

と語っていました。

“ドライな関係”と言われる木下医師とお母様ですが、このやり取りを聞いてみていると、木下医師が、息子として不器用でいまだ素直になれないだけなのではないでしょうか。

ところで、現在ご実家には、お母様1人で住まわれているとのことですが、実は、木下医師には弟さんがいらっしゃいました。

しかし、弟さんは、35歳の若さのときに脳出血で他界されています。

独身だった弟さんは、ご実家でお母様と暮らしていたのですが、ある日、イビキをかいて寝ていたところを起こしても起きなかったことから、救急車で病院に搬送。

しかし、病院についたときには、瞳孔が散大し、脳出血で手術ができない状態で、夕方に搬送された弟さんは、翌日未明に亡くなってしまったそうです。

若い頃はあまり仲が良くなかったといいながら、ジャガー横田さんとの結婚に家族中が反対の中、一人賛成をしてくれた弟さん。

弟さんを亡くしたその日のブログに、木下医師は、書くのを迷ったと綴りながらも、

「弟の死を受け入れられずにいます」

引用:GREEブログ http://gree.jp/kinoshita_hirokatsu/blog/entry/564194067

と書いていました。

ブログに書くことは、自分(木下医師)のため、と悲しみを率直に吐露していました。

木下博勝実家にて反抗期で反発?

ところで、木下博勝さんは、高校時代に反発し、ロックバンドに熱中したと上で触れましたが、実はかなりビジュアルが奇抜だったのです。

確かになかなか奇抜な恰好でしたね。

バンド名はTranquilizer(トランキライザー)、木下医師はボーカル担当していたそうです。

バリバリに固めた、スーパーサイヤ人のような髪型で、ステージ上を暴れまわり、学園祭でパフォーマンスを披露していたとのこと。

現在の木下医師からは想像できませんね。

そんな反発から始めたバンド活動が災い(?)したのか、希望する医学部の受験に失敗、一浪することになってしまったのです。

木下博勝の母は71歳で大学院合格!

木下博勝さんを医師にするために、幼いころから教育熱心だったという、木下医師のお母様ですが、ご自身も勉強熱心なようです。

なんと、71歳のときに、仏教大学社会福祉学部の大学院を受験して見事合格されているのです。

しかも、実は1回目の受験は不合格だったそうです。

木下医師も、不合格だったことでお母様が諦めるかと思っていたところ、逆に奮起し、エンジンがかかったようにさらに勉強し、2回目に見事合格。

当時、ケアマネジャーとして働きながら、大学院受験をして見事合格を勝ち取ったお母様について、木下医師も自身のブログで

もちろん、これがゴールではありませんが、身内ですが、素直に褒めてあげたいです。

引用:GREEブログ http://gree.jp/kinoshita_hirokatsu/blog/entry/627030505

と述べていました。

幼いころから教育に熱心だった木下医師のお母様、ご自身も向学心を持ち続け、実際に大学院受験に挑戦するのは、“さすが”ですよね。

木下博勝の父は医学部生時代に他界

ところで、木下博勝さんのお父様はどんな方だったのでしょうか。

木下医師のお父様は、木下医師が大学生だった21歳の時に、52歳の若さでなくなられたそうです。

お父様も医師だったそうです。

死因については、明言されていませんが、木下医師がブログにお父様が亡くなったときに、病理解剖に検体したことを綴っていました。

解剖を終えて帰宅した父は、生前より2回りは小さくなっていました。

喉の付け根から、真っ直ぐに陰部まで、太いテープが貼られていました。

それが何を意味するのかもわからないまま、悲しみにくれていたのを、昨日の事のように思います。

当時、医学生だった木下医師ですが、病理解剖が行われるとどのようになるかは、よく理解していなかったそうです。

だからこそ、“2まわりほど小さくなった“との感想を持たれたのでしょうね。

ブログの最後には、医師として、病理解剖について触れていました。

病理解剖に話を戻しますが、実は内臓の殆どを摘出します。

空になった分は綿等を詰めて、膨らみをもたせます。

脳についても、同様に、脳を取り出した後に、詰め物をして、縫い閉じます

引用:GREEブログ http://gree.jp/kinoshita_hirokatsu/blog/entry/456147799/

医師となった今は、もちろんその必要性や重要性を理解しているが、と述べながらも、当時は悲しみにくれていた、とブログにありました。

肉親の死に対する思いは、医師という職業ならではの苦悩があるものなのかもしれませんね。

木下博勝実家まとめ

この記事では、ジャガー横田さんの夫・木下博勝さんの実家との関係や兄弟、母親との関係や、早くに亡くなったといわれる父親について調べてみました。

ご実家に一人で住んでいるお母様との関係は“ドライな関係”と言われながらも、一人息子の親となったことで、お母様の苦労がわかったとも話していました。

また、木下医師が幼いころから教育熱心だったお母様は、71歳という年齢で、大学院に挑戦し合格していたのにも驚きです。

年齢に関係なく自分自身にも厳しく何事にも挑戦する姿を持てるのは、なかなかできないことですよね。

さすが、医師を育て上げたお母様ですね!